患者から治療師に転身した方々のエピソード

 ~ 自分の為 ・ 家族の為 ・ 人の為 ~

全国で活躍されている骨盤調整法の治療師の先生方の中には、元々は自分や家族の病を治すために講習会に通い、 技術を身に身に付けて、病を克服された経験のある方が多くいらっしゃいます。 参考に、私の知人の先生方のエピソードをご紹介したいと思います。

一生治らないと言われた跛行を克服した四国徳島のS先生の話

四国徳島の、Sさんは若いころから難症の股関節脱臼でした。
いつも、片足をひきずるようにして歩き、痛みもひどく、医者からは「その跛行は死ぬまで治らない」と言われたそうです。

Sさんはある縁で、高校卒業後上京し、Y治療所の内弟子となります。
そして、Y治療所で治療を受けつつ、骨盤調整法を学び、日々精進して1年後、
近況を知りたいと上京したご両親が見たのは、スタスタ歩けるようになったSさんの姿でした。

しかもSさんは、せっかく上京したご両親を楽しませようと、あちこち案内して歩いたのですが、ケロッとしています。
逆に、ご両親の方は「歩き疲れた」「休憩しよう」というほどだったそうです。

その2年後にSさんは資格を取得して、故郷の徳島で開業したと聞きました。
患者から、治療する側になり、難治な股関節脱臼を克服して治療師になったのでした。

後年私は偶然にも、都内でSさんと再会することになります。
ちょうどその日は、狭山で開業されている先生と二人で街を歩いていたのですが、
Sさんが私たちに気がついて、挨拶をしてきたのです。

そして私達は、Sさんの別人のような見事な変わりように、二人して声を上げてしまったのでした。

私達の知っていたSさんといえば、血行が悪い、浅黒いヒナびた顔色の女の子でしたが、
その時のSさんは、顔は色白で、曇りなく澄んだ眼に、細身の体にスーツを着こなした颯爽とした女性に変身していました。

昔のあれほど苦しんでいた痛みや跛行のつらさは、一片の跡形もなく消えていました。

しばしの立ち話の後、確かな足取りで駅に向かうSさんの後姿を、二人で見送ったのを覚えています。

 

子供の不登校をきっかけに、人生が変わったお母さんの話

小学校2年生になって間もなく、不登校になったお子さんを持ったお母さんのお話です。

病弱だった我が子が、ある日を境に不登校になってしまい、さぞ心労も多かったのだろうと察します。

あるとき、ある縁で、骨盤調整法の創設者である五味雅吉先生を知り、
お子さんを受療させようと付き添って通院しはじめます。

そのうち、自分が家で我が子に施術をしてあげられたらと、講習会を受けるようになります。
五味雅吉先生の指導を受けて、心の迷いを断ち、我が子の健康だけに専念する年月が過ぎていきました。
お母さんが心に決めたのは、決してあせらないということです。
不登校中一度も「勉強しなさい」と言わない、ただ我が子の健康の為にできるだけのことをしようと。
その中で、本格的に骨盤調整の修業に励んでいったのです。

その甲斐あって、5年生になるとお子さんは登校するようになりました。
長いブランクの後、小学校の高学年になってからの登校でしたから、実際は、授業についていけるか心配だったそうです。

しかし、母の愛情を受け、健康を取り戻したお子さんは、これまでの不登校の不名誉を克服するように、勉強に意欲的に取り組み、6年生の卒業の時には、クラスで10番以内という好成績で卒業できたのでした。

さて、そのころになるとお母さんも立派に骨盤調整の技術が身に付き、もっと多くの人を助けられるかもしれない、と思うようになっていき、治療師となる決意をします。

そして、そんな母の姿を見て育った末のお子さんは、母と同じく治療師の資格を取得しました。 家族を救った骨盤調整で、同じように苦しんでいる人々の役に立ちたいとの思いでした。

母と子二人の治療師がいる治療所は、今ご主人も退職されて、一家で経営をされています。

病を抱えて生きることは、人生を難義にするものです。
しかし、骨盤調整の療法を覚えて、家族皆が健康に暮らしている方々が沢山います。

骨盤調整は強い力はいりませんので、女性や高齢者の方も学べます。

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